流行語大賞が発表されたけれど、なんだかねという感じですか。「グー」はエド・はるみさんの芸としては面白いし、ドラマから生まれた「アラフォー」も確かにCD業界などではヒット企画だったかもしれないけれど、時のキーワードになったと言うほどでもないし、また日常的にみんなが話題にしたというほどのものでもありません。時期的には間に合わなかったものの、「ミゾユウ(未曾有)」のほうが面白かったかも知れません。
このまえ、ヒット商品番付で、東西両横綱が「該当なし」ということになったことを取り上げましたが、もうなにかをしかけて、一世風靡するということが難しくなってきている時代です。もはや大きな流行を支える「大衆」は幻想に過ぎず、実態としては存在しません。ありきたりな言葉かもしれませんが、世代、価値観や感性、また生活のスタイルの異なる「分衆」化してきたのが時代の流れであり、それもさらに分散化してきたために、誰もが共感するキーワード、またサービス、製品をというのは成立しずらくなってきています。「流行語大賞」も、いろいろな部門やカテゴリーをつくってやればまだましかもしれません。
「ヒット商品番付」はなんのためにあるのかな?
こういったことはマーケティングを考える側としては、それが当然のことであり、だからどんな人を対象とするのか、つまりターゲティングがこれまで以上に重要になってきたわけで、そもそも「流行」という発想が、もう終わっていたという感じではないでしょうか。「流行」よりは、ひとりひとりの心に深く刻まれる言葉なり、意味、また価値を生み出すというほうが重要な時代じゃないかって気がします。
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さらに言えば、
「ただ次ぎ次ぎにあたらしいD、欲求を刺激する、より過激な方向にすすんでいます。このため、対象は成熟することがなく、既存の価値観を違ったアプローチからなぞることに終始し、結局は短いターンでの流行り廃りを繰り返すのみとなりました。」
となるのも仕方がないのかなあと。
いわば現代人は、昔は3択問題が10問だったテストを、いまは、選択肢が10択で問題数も20問になったのを、同じ時間で解けって言われてるようなものですから。
1つの問題に取り掛かる時間も選択肢を吟味する時間もない。そりゃ「正解が分りやすい問題」が望まれます。「分かりやすさ」は「刺激を強く」すれば、そこそこ容易に手に入っちゃいますからね。