目をみはる伊藤若冲の『動植綵絵』
今日は、京都の相国寺にでかけ、開基足利義満600年忌記念「若冲展」に行ってきました。若冲ブームのすごさなのか、120年ぶりの若冲の「動植綵絵」のお里帰りで、もう生きているうちには二度とは見ることができないかもしれないということでの人気なのかわかりませんが、長い行列ができ、入場に40分待ちという盛況ぶりでした。
さて若冲は正直言って、長い間、丸山応挙、池大雅といった江戸時代の京の巨匠に比べてなじみがありませんでした。それは、明治政府が、日本の文化を無視した廃仏毀釈という愚行に走り、窮地に追い込まれた相国寺が、若冲の
代表作である「動植綵絵」を宮内庁に献上し、その見返りの1万円で復興したという経緯があり、それ以降は宮内庁の資産となったため、ほとんど公開されなくなってしまったこともその一因となったのかもしれません。
今でも、竹村健一さんが日本は神道の国なんて間違ったことを平気で言っているのには驚きますね。日本は神仏混交の国です。
すっかり忘れ去られていた若冲を再発掘したのは、若冲に惚れ、若冲の作品を収集し公開してきたアメリカ人ジョー・プライス氏といわれていますが、2000年に没後200年を記念して開催された展覧会で、若冲ブームに火がついたようです。


さて、今回の若冲展ですが、事前に、ブロガーを募集し 内見会に招待するとおいう仕掛けもありました。
京都相国寺「若冲展」に急げ! − 業界初ブロガー向け先行プレビューに奥さんが参加 」なんていう磯崎さんのブログでのエントリーに素直に反応して出かけたのが少なくともここに一人はいます。こういった展覧会のプロモーションにもブログが意識されるというのは感慨深いですね。
若冲といえば、ブームになるまえから、渋沢龍彦なんかも注目していたのですが、繊細で緻密な描写にもかかわらず大胆で奔放な作風は、現代ならますます人気がでてきても当然という感じがします。
京都の大火で、実家も生活の糧も失った若冲は、伏見の石峰寺の門前で暮らすようになり、絵を書いては米に換え、またその資金で五百羅漢の石仏を石工に彫らせ、その石仏を順次配置していったともいわれています。

>>石峰寺羅漢

そんなところにも、裕福な青物商の跡継ぎでありながら、さっさとその席を弟に譲って隠居し、ひたすら絵を描き続けた「画遊人」としての若冲らしさが見えます。好きなことに人生を賭けつづけるというのは本当にすばらしいですね。
今回のメインイベントは、相国寺に残る釈迦三尊像と動植綵絵の120年ぶりの再会でしたが、墨絵の鹿苑寺の大書院障壁画もなかなか見ごたえがありました。
ちなみに若冲展は、6月3日までの開催です。


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