今朝から黄砂と花粉が交じり合って降り注いでいます。最悪の週明けとなりました。
さて、原発問題に関しては4月1日付けの産経新聞の主張「
原発不正 責めるだけでは育たない」が最も注目されましたが、朝日新聞の社説「原発の不正―発想転換しミスを語れ」も電力会社をバッシングするだけでないという点で、めずらしく、二紙の主張の方向が比較的一致していたので注目しました。
朝日はあいかわらずちょっとハスに構え、評論家的であり温度差はありますが、いずれもただ電力会社をただバッシングするだけではなく、前向きに考えるべきだという主張だと受け止めました。
それに対して、日経新聞の3月31日付の社説
「自浄能力の欠如示した電力業界」と毎日新聞の4月1日付けの社説「電力会社不正 隠ぺいへの罰則強化の検討を」は、ただただ電力会社の非を責めるだけの社説であいかわらずのことをやっているという印象を受けます。
とくに「今回の一連の不正の報告と社会の対応を見ていると、問題の本質を見失いそうな雲行きである」という産経新聞の主張は冷静であり評価したいと思います。讀賣は沈黙したままです。
原発問題は簡単ではありません。安全の問題があり、さらに使用済み核燃料をどうするかという課題も残っています。一歩では、石油や天然ガスという化石燃料に頼ることは、環境問題を引き起こすというだけでなく、これからの中国の経済発展を考えると、深刻なエネルギー資源確保を巡っての国際的な争奪戦が起こり、日本の社会も経済も資源保有国の駆け引きに振り回されるということは容易に想像できます。
しかも京都議定書を守り、CO2排出量を減らすということになるとますます化石燃料依存から脱却していかなければならず、現実的な選択肢としてはいまのところ原子力しなかいのではないでしょうか。
そういった背景を考えると、原子力をどうするかは、国家の重要なエネルギー戦略であるはずで、それぞれの民間の電力会社が国民の合意をとるというのは不自然だという気がします。日本も、一応「原子力立国」をめざすということにはなっているのですが、残念ながら政治もマスコミも、また国民もこの問題から逃げてきて、タブー視してきたというのが現実ではないでしょうか。
原子力がなにか日陰者のような存在となり、なにかがあれば叩かれるという現場への強い圧力がこれまでのトラブルの隠蔽につながってきたのではないかかという気さえします。
原子力が、日本にとって避けられない問題であるとするなら、もっと原子力に対して直視するべきだし、批判のしかたも違ってくるはずです。日本はTQCを始めとした品質管理や改善のノウハウが蓄積されており、さまざまな技術を生み出してきたわけで、原子力こそそういった日本のお家芸を生かすべきだし、世界一安全な原子力発電の技術を生み出して、海外にも輸出するぐらいの志や目標をもってやって欲しいものです。

>>人気blogランキング