松岡農相は、あいかわらず光熱水費問題で一切の説明を拒んだままです。国会で質問されても「適切に(政治資金報告書に)報告している」「それ以上の説明は控えたい」を繰り返すばかり。ここは耐えに耐えて粘り勝ちを考えているということでしょうか。
安倍首相も「ルールに従った答弁と了解している」、塩崎官房長官も「適切に報告している」と、閣僚の罷免による混乱や任命責任を問われることを避けたいのか、特別な背景があるのかと思わざるをえませんね。

法律で報告する義務がないからといって、誠意や倫理を問わないというのは、決して「美しい国」にふさわしいとは感じません。安倍首相が「美しい国」をめざすと、人々の美意識に触れる目標を掲げたことは素敵なことだと思っています。企業の掲げる理念やビジョンも、たとえ最初は抽象的でも、具体的な意思決定や行動で示し、それを積み重ねていくことで、やがて具体性がでてくるものです。
だから現実に起こってくる出来事への対処のなかで、なにが美しく、なにが美しくないかを示していかないと、「美しい国」は浮ついた言葉遊びだったのかといわれてもしかたありません。それとも阿部首相や塩崎長官にとっては、法さえ守っていればいいじゃないかというのも「美しい国」の価値観に沿っているのでしょうか。

さて同じような時期に、プロ野球で西武の裏金問題が発覚しましたが、最初は東京ガス野球部の木村雄太投手と早稲田の選手だという発表で、清水選手の名前はでていませんでした。最初は清水選手は西武のスカウトの指示するとおりに口裏をあわせていたのですが、木村選手の会見を見て、自らか真実を話すことを決めたといいます。この清水選手の潔い態度は「美しい」と感じます。
水清ければ魚棲まずで、あまりにも潔癖な社会というのもどうかとは思いますが、日本は戦後の占領政策や社会の変化で、規範や倫理、価値観やアイデンティティが揺らいだり崩れてしまったことへの反省から、もういちど自らの手で生み出していこうという気運が生まれてきているだけに、「美しい国」というコンセプトも生まれてきたのでしょうし、政治家や政治の世界もそんな時代観を持って欲しいのと、自らの発言や態度でそれを示して欲しいものです。

↓お気づきのかたは、クリックお願いします。
>>人気blogランキング