匿名という問題は結構複雑ですね。会社に勤めている人たちが2ちゃんねるやブログ、またSNSなどで匿名で意見をネットにあげることは、しかたないことであり、しかもそれだから自由にネットに主体的に参加できると言われます。しかし、よくよくよく考えてみれば、それも奇妙な話であり、道義的にも法的にも秘匿しなければならない問題を暴くというのならいざしらず、本名で書いて会社や身の回りでトラブルが起こる、あるいはその危険を感じるというのは、企業や社会のほうが病気と感じるのですがいかがですか。
企業も含め病気である社会からの自衛手段としての匿名を使うということは当然のことでしょうし、さらにペンネームを持つと言うこと自由でしょう。しかし問題は、匿名であるために暴走し、節度のない怒りをぶつけ、さらに個人を攻撃して傷つけるといった行動にでるということです。匿名の暴力です。
だから、そういった危険の少ないSNSが伸びたのでしょう。しかしそのSNSも、MiXIのコミュニティが乗っ取られ酷い状態になっているのを見ると、SNSもこの匿名性の暴力から逃れることができないのでしょう。
この匿名によるさまざまな問題はあたかもネット特有の問題として取り上げられがちですが、ネットだけの問題ではありません。社会のなかでコミュニティの機能が劣化してからというもの、リアルな世界も、ネットよりも先に匿名の社会となってしまったわけで、よほど犯罪でも犯さない限り、匿名で通過していく人々の群れのなかでは、旅の恥はかき捨てとなり、傍若無人の行動も平気ということになってしまっています。
社会に対する配慮、まわりの人々への配慮が失われ、恥の文化も失われてしまったのかと思えることが多いですね。ネットにおけるさまざまな匿名の問題は、たんにそういった社会の歪がネットに映し出されているだけのことだという気がします。
人はコミュニティのなかでしか自分の顔を確かめることができないわけで、匿名であるということは個人としてのアイデンティティを持てないということであり、それを貫いて生きていくというのは辛いことです。コミュニティの復権は、個人のアイデンティティの復権の問題でもあり、いったん失われたコミュニティを社会が取り戻すには時間がかかるとはいえ、きっと社会的なニーズとして大きなトレンドとなってくるものと思います。
かつては企業内のコミュニティが中心となった時代がありました。その企業社会のコミュニティも希薄化してきており、さらに団塊の世代は、すでに企業社会のコミュニティの幻想から目が醒め、地域や趣味によるコミュニティを求める行動にではじめているというのが実態でしょう。地域の飲食店などでもコミュニティの場となっているところは結構繁盛しはじめています。 
この問題は書き始めたら一冊の本になってしまいそうですが、今年は、きっとリアルな世界のなかなでも、コミュニティの場や機会を提供するサービスが、既存ビジネスのなかのキーワードとして、また新しいビジネスのキーワードとして広がってくるものと思います。

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