ジャーナリズムに関心のある人は、マスコミに肩を並べる存在となったインターネットによる韓国の市民参加型ジャーナリズム「オーマイニュース」をご存知でしょうし、日本版が鳥越俊太郎さんを編集長にオーマイニュース日本語版がこの8月にスタートしたことで一部で話題になっていましたが、その後は鳴かず飛ばずのままの状態で忘れられた存在となっていたように思います。そもそも一般の方々では「オーマイニュース」の存在すら知らず、説明すれば聞いたことがあるという人が圧倒的に多いのじゃないでしょうか。
そのオーマイニュースについて、団藤さんの『ブログ時評』で
「オーマイニュース本家も赤字に」というエントリーがありました。そのなかで、ALEXAを使って「本家オーマイニュース」、「オーマイニュース日本語版」のアクセス状態と「秋葉ブログ」とを比較したグラフのリンクがありましたが、ほとんど同じような状態であり、それでは商業ベースとしては厳しいだろうということがわかります。日本での鳥越さん効果も最初の出だしだけであとは続かなかったということでしょう。
団藤さんもオーマイニュースが韓国で一世風靡したのは世にブログが普及する前であったことを指摘されていますが、もう少し期間を延ばしてグラフを見ると、ブログがオーマイニュースの凋落の原因だとは断定できないにしても、確かにブログが本格的に普及し始めた2004年にアクセスが激減しはじめたてことは間違いありません。
オーマイニュース

WEB2.0と騒ぐのは好きではありませんが、オーマイニュースにしても、ライブドアが試みている市民参加型のパブリック・ジャーナリズムにしても、「市民」という言葉を使っているところに時代錯誤があるのじゃないかという気がします。なぜなら、「市民」という発想の根底には、情報が発信できるのは「マスメディア」であり、情報発信の権利を「マスメディア」に属さない人々にも解放しようということがあると思うのですが、いまやWEB2.0の時代であり、誰だってブログやSNSで情報発信できるので、そういった発想が通用しなくなるのは当然のことだという気がします。
誰でもブログを書くことができる時代に、記者として登録するとかという制約のあるものなんてちょっとまだ古いペーパーの文化から抜け出せていないのじゃでしょうか。それに記事を選択するのは編集者ではなくネットで見ている人たちというのがネットの世界でなければネットとしても魅力はありません。それならもっと鮮明に主張を打ち出し、特定の目的、性格をもったサークル的というか政治集団的ジャーナリズムに徹したほうが、そういった記事や主張が集積され個性がでてきます。
焦点は、「市民」が情報発信できるメディアをつくることではなく、膨大な数の人々から日々情報が発信されているのでそのなかからどう効率的に情報を見つけ出せるのかに移ってきています。誰かが見つけた記事を登録し、人気投票され、人気の高いあるものがピックアップされていくという
DIGG、日本でもnewsing のようなサイトといったソーシャルニュースサービスが次々に生まれてきており、GOOラボでも実験が始まっています。また近いものとしては「はてなブックマーク」のようなソーシャルブックマークといった「サービス」もあり、そちらのほうにこそニーズがあるということでしょう。
このことは、掲示板にしても、ブログにしても、SNSにしても実際に日々接している人たちはそんな違いをいわば皮膚感覚で理解していらっしゃると思います。
「市民参画型ニュース」というメディアと、人々が自由に書かれたものをピックアップする「ソーシャルニュースサービス」「ソーシャルブックマーク」という「サービス」の違いはWEB2.0時代を象徴するひとつのいい見本じゃないかと思います。皮肉なことに「ソーシャルニュースサービス」にしても「ソーシャルブックマーク」にしても、マスコミの記事も、ブロガーが書いた記事も結果として対等に扱われています。人気投票結果でも、マスコミの記事であれ、ブロガーが書いたものであれ、多くの人々の関心が寄せられたものはスコアが高いのです。そのことの是非を論じてもしかたがありません。それがネットの本質的な特徴なのです。

↓クリックありがとうございます。今日もよろしくお願いします
人気blogランキング