といっても、シャンソンってなあに?といわれそうです。美輪明弘さんの演劇「愛の讃歌〜エディット・ピアフ物語〜」とか、「ジャックブレルは今日もパリに生きて歌っている」でシャンソンの世界にはじめて触れた人もいらっしゃるかもしれません。
「花崗岩のつぶやき」のtantanmanさんが「ミレイユ・マチュー:エンリオ・モリコーネを歌う」で、もうシャンソンを聴きたいという客も少なくなったのでしょうかと書かれ、それを受けて「時事を考える」のマルセルさんが「日本でシャンソンが聴かれなくなったのは、その進化つうかその後の方向性が、高度成長期を迎えてバブって終えた日本のテーストとあわなかったということでしょう」とコメントされていますが、そういえば、もう長らくシャンソンをCDで聴いたことがありません。
とはいえ、CDがなくとも、時々は頭の中では、エディット・ピアフとかジャック・ブレルなんかの曲がかかっているほど昔はシャンソンを聴いていたものでした。文化の発信源としてはフランスはずいぶんマイナーになってしまいました。
しかし、実際には日本のいたるところでシャンソンは流れています。えっと思われるかもしれませんが、BGMです。BGMは、知っている曲だと聴いてしまって仕事や会話が止まるので、みんなが知らなくてメロディのいい曲を流します。だからシャンソンが案外多いのです。
シャンソンといっても、tantanmanさんやマルセルさんが取り上げられたのはオリジナルなものですが、かつて日本でシャンソンが最初に広まったのは、越路吹雪さんや高英夫さんなんかが日本語で歌ったシャンソンで、どちらかといえば宝塚調というか華麗な洋風演歌みたいな世界でした。
それがかつてのオバサマ族の人気を得たということでしょうが、もともとは戦後のシャンソンはジャズの影響を大きく受けており、感覚的にはブルースに近いもので、日本では、オリジナルなシャンソンとはずいぶん違ったイメージで広がってしまいました。
オリジナルのシャンソンのファンは今でも根強いと思うのですが、オリジナル曲で日本のPOPS界を一世風靡したのは、シャルル・アズナブールが最後だったかもしれません。そうそう、以前にも書いたことがありますが、よくオジサンがカラオケで絶唱して嫌われるMY WAYももともとはシャンソンです。別れの歌ですから、まかり間違っても披露宴で歌わないようにしましょうね。
ちょっとオタッキーな話になるかもしれませんが、デビッド・ボウイもシャンソンを歌っています。ジャック・ブレルの「アムステルダム」という曲です。
グーグルで検索すると、宝塚ファンのかたで、ジャック・ブレルのことに触れているホームページを発見しました。見事にジャック・ブレルを語っていらっしゃいます。
初めて触れたジャック・ブレルの世界は・・・彼の魂の叫びが痛いくらいに鋭く、聴く側の内部にズシンと食い込んでくるようで、でも、徹底的にシビアな視点の裏側には、一握りの希望や優しさが潜んでいる。それはまるで、パンドラの箱の片隅に残されたひとかけらの希望を見るようでもあり、今、現実世界と向き合いながら痛みや辛さを抱えつつ日々を生きていく中にも、どこかに必ず希望へと繋がる道は残されているんじゃないか・・・そんなことを深く感じながら聴かせてくれる世界であったような気がします。
ブレルは、実際に歌っているところを収めたモノクロの映画があったのですが、すばらしいものでした。amazonで、これかなというDVDを見つけましたが、規格が違うので日本では再生できないようです。こういったものも購入できるとはロングテールはたいしたものです。
ジャック・ブレルはベルギー生まれの人ですが、シャンソンの革命児であり、きっと今でもジャック・ブレルの世界に触れれば、ファンになる人が多いのではないかと思います。ぜひ一度聴いてみてください。

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追記:こんなビデオもありました。