川崎市で小学3年の河上君がマンションの15階から不審者に投げ出され亡くなるという痛ましい事件は、またかという怒りを感じますが、犯人がはやく逮捕されることを祈ります。こういった不審者、また異常者による犯罪、また家庭内暴力によって子供が犠牲になる悲しい事件が後をたちません。
監視カメラを整備しようとか、子供にGPSつきの携帯電話を持たせようとか、さまざまな手を講じようというのですが、まったく効果がないとはいえないにしても、それでこういった犯罪が防げるのかというと疑問を感じます。皮肉なことに川崎で起こった事件は、マンションに監視カメラを設置してまもなく起こりました。
それにしても、前月の29日に清掃作業員の女性(68)を突き飛ばし殺人未遂事件が起こっており、さらに「転落死事件3日前の17日にも、酷似した男が午後3時ごろから約3時間にわたり、エレベーター内やエレベーターホールなどマンション内をうろつく姿が複数の防犯カメラ画像に残されていた」というのだから未然に防ぐことができなかったのかという思いがします。

社会が大きく変化し、日々の暮らしのなかでのリスクは以前とは比較にならないぐらい増えてきています。にもかかわらず、それに対処する社会のしくみや意識がついていっていないように感じてなりません。そろそろ、子供たちの安全に対する根本的な対策が必要になってきているのではないかと感じられてなりません。
ひとつの解決は、もっと監視技術を高度化する、あるいは監視体制を強化することでしょう。アメリカでは、子どもへの性的犯罪を行った人の氏名の開示や、インターネットでの居住地の検索などを可能にするメーガン法がありますが、日本は、なかなかそこまで踏み込めませんでした。家庭であれ、学校のいじめであれ、子供に対する虐待が発覚してもその後の対処が甘かったために起こった事件もあります。監視の強化というと人権問題、プライバシー問題という壁のまえで、どうも思考停止してしまっています。
もうひとつの解決は、地域社会の機能を再生することでしょう。私たちが子供の頃は、近所の人たちが、この子はどこの子供だみんな知っていました。子供にとっても、あの人はどこの誰かということをみんなわかっていました。子供たちも、また異常を感じる危なっかしい人に対しても地域が監視していました。
しかし、今や地域社会は希薄化し、空洞化してしまっています。見知らぬ人たちが同じ地域に暮らしているに過ぎない状態です。挨拶をしても挨拶を返さない大人や子供も少なくなく、ますます人と人の社会関係も失われてきています。子供たちは見知らぬ人たちに囲まれ、ますます危険に晒されてきたにもかかわらず、ゆるやかな相互監視のしくみ、地域社会が守るという機能はどんどん失われてきました。時代状況も変わり、かつてと同じようにはならないとはいえ、本当にこのままでいいとは思えません。
かつてとは比較にならないぐらいのストレスを抱えた社会は、これからもどんどん危ない人間や犯罪予備軍を生みだしていくに違いありません。きっと本当のところは、どちらかという選択ではなく、監視強化と地域社会の再生のいずれもが必要なのでしょう。

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