民主党の永田議員が武部幹事長につきつけた偽装メールは、結局は本人どころか民主党そのものが問われる展開となってしまい、野党として機能停止してしまいました。情報の取り扱い方を間違うと大変なことになりかねないということでしょう。今回の問題に限らず、通信やインターネットの発展によって、情報量は爆発的に増え、個人では対処しきれないほど溢れ始めてきています。しかも玉石混淆であり、どのように情報を吟味し、解釈し、選択して取り扱っていくかということが問われてきているように感じます。
だからこそ、情報を選択するナビゲーションといったものニーズも生まれ、ソーシャル・ブックマークのように、どれだけ多くの人が注目したかというネットの「民主主義的」な機能もうまれてきました。しかし、そういったガイドがいかに生まれてきたとしても、最終的には、情報を吟味し、読み取り、選択する側の能力がいやがおうでも求められてきているということでしょう。
リアルな世界、とくに活力のあるビジネスの現場では限られたテーマに絞って、ああではないか、こうではないかとディベートも含めて議論する機会が多く、複眼的に情報を吟味し、読み取り、選択肢しながら意味を見つけていくということが頻繁にあります。
ネットノ世界では、ブログの形式が広がり、トラックバックなりコメント機能がついて、異なる視点や異なる意見も寄せられるいうことが簡単にできるようになりましたが、面と向かった議論でないだけに、議論によって新しい視点が生まれたり、お互いが共有しあうというダイナミズムは生まれ難いというのが現状だと思います。それにコメントやトラックバックとは関係ないところで議論が起こっていることだってあるりますから、結構ややこしいですね。

情報を吟味するということでは、「絵文禄ことのは」の松永さんの「一次情報に当たることはいかに重要か(永田寿康議員メール問題)」で書いていらっしゃることは参考になります。情報源を意識することと、結論を急がず「保留状態」をつくるということの大切さを指摘されています。

さて、ではどうすれば情報を見極めることができるかということなのだが、まず最初に身につけていただきたいと思うのは、必ず「だれそれ曰く」という言葉を頭につけて情報を分類することである。
まとめておくと、
(略)
 メディアやサイトで得られた情報を常に「朝日新聞いわく、云々」「産経新聞いわく、云々」「フジテレビいわく、云々」「きっこの日記いわく、云々」「論談いわく、云々」というふうに認識し、内容が事実かどうかわからない=保留状態にすることができれば、情報に振り回されることはなくなってくるはずである。

この松永さんについては、ESPIOの野田さんが、M.V.Project HONDA Sigekuni と まぼろしの五色不動で、アレフの信者で忽然とネットから姿を消した「河上イチロー」本人だと断言し、さらに「きっこの日記」の作者そのものではないかという推論まで展開されているのですが、そのことを切り込み隊長が 「きっこのブログ」の筆者は「河上イチロー=松永英明」氏説?で取り上げるということが起こっています。しかし、一方では、 「月よおまえが悪いから」では松永さんと「河上イチロー」のどちらにもあったことがあるけれど二人は別人ときっぱり否定されています。まあ、多くの人たちにはどうでもいいことだと思いますが、こういうときはどの情報を信じるかということではなく、いったんは保留するということでしょう。

付け加えるとすれば、情報の裏にある意図とか背景を想像し、原因を考えてみるということもあるでしょう。例えば、ビジネスの現場を考えてみましょう。営業の最前線から、「価格が高いから売れない」という報告があったとします。良くあることです。営業の人たちの体験情報であり、市場の感触としてはきっと事実です。しかし、そこで考えられる原因は複数あります。価格が高いから売れないのか、商品の価値が伝わっていないから価格が高いと感じられているのか、小売店の利益がすくないから小売店が不満をいっているのかといったようにです。どう解釈するかで打つ手は全く違ってきます。
いやがおうでも情報を吟味し選択する能力が問われるようになってきた時代というのはちょっと疲れますが、現代に生きる限り、この時代の流れには逆らえないですね。

最新の人気blogランキング