小泉首相が掲げる「民にできることは民に」、「効率的で小さな政府」、「三位一体」という日本の構造改革については日本がクリアしていかなければならない課題と思います。特に「競争」が努力と知恵を生み出すという考え方も間違っていないと思います。
実際、過当競争ともいえる厳しい競争によって、日本の産業は世界でも強い地位を掴み取ってきたわけですし、反対に、国家公務員試験に通った成績でほぼ一生が決まってしまい、仕事の成果も問われることがほとんどない馬鹿馬鹿しい制度が、無責任でアホな役人を量産してきたわけです。また保護下にあった産業はことごとく競争力を失ってきました。
しかし、自由競争といっても、なにをしても勝てばいいというものではありません。「競争」がもちこまれると、必ず敗者がでてきます。だから、弱者にたいするセーフティネットがなければ安定した社会は保てませんし、また敗者が復活できる社会でなければ、思い切って競争のなかに飛び込んでいこうという勇気も育ちません。そういったセーフティネットが必要だという議論は起こってくるのですが、もうひとつなくてはならない大切なことがあります。それは競争のなかで公正さが保たれなければならないということです。競争を歪めてはならないと言うことです。
市場での競争が公正だというのは、ひとつには、競争しあっている人や企業の競争がフェアな条件で行わなければならないということと、もうひとつは、売り手と買い手の取引がフェアでないといけないということではないでしょうか。

今回の耐震偽装問題で分かったことは、自民党森派がヒューザーから献金を受けてきたこと、また伊藤議員については、国民に対して説明責任がありますが、ヒューザーとの癒着関係の疑いが濃厚であること、さらに安倍官房長官の「安普会」も、結局はこういった業界とのおつきあいで成りたっていることなどです。
なにの目的もなく、企業が献金をするということはありません。企業は、なんらかの便宜を図って欲しいから献金するのであって、政治家や政治団体が、特定の業界や会社に特別な便宜をはかれば市場の競争は歪んでしまいます。
政治家は、いまだにそんなことをやっているのかという思いを多くの人は感じたと思いますが、そういった企業献金を認めて、なおかつ政治家が公正な立場を保つためには、政治家個々に、誘惑にも負けない高いモラルが必要だと言うことででしょう。
しかし、残念ながら、そんな高いモラルを政治家すべてが持っているとは限りません。政治家が企業から献金を受け、たとえ犯罪にまで至らなくとも、さまざまな癒着が起こり、便宜をはかってきたことは否定できないのです。
そういった性善説にたって、個人、また個々の企業のモラルに頼るという発想が、今回問題になっている建築強度の甘い検査体制やしくみを生んだわけで、政治資金をもらって偏らないというのは、しくみとしてあまりにも不自然というか矛盾しています。
市場での自由競争を掲げるなら、そのベースには、政治も行政も司法も、競争や取引の公正さを保つことが生命線だという思想がないとうまくいきません。公正さを保つには、もちろんモラルも求められることは当然として、制度やしくみによって保っていくということが必要です。

政治に金がかかる、だから企業献金も必要だというというのなら、国会議員の数を半分にすればいいのです。もっと活動のための資金が捻出できるはずです。
構造改革は塊より始めよです。まずは政治家が公正で公平な立場を保たないといけません。公正さを保つ、特定の企業に便宜をはからないというしくみを、まずは自らに課すべきでしょう。国民が信頼できるしくみ、国民の疑惑を受けることがない自らの構造改革をやって欲しいものです。

それにしても、自民党は証人喚問でエース級を送ると約束しながら、結局質問はマスコミ情報ぐらいしかもっておらず、その程度がエースなのか、やる気があるのかと疑ってしまいますね。

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