2006年01月07日
縦並び社会-誰も格差を埋めてはくれません
景気回復基調であり、株価はバブル期の日経平均の高値は3万8950円と比べれば、まだ半値以下とはいえ、一日平均取引額はすでにバブル水準を上回っています。日本に再びゆるやかに上昇機運がやってきたように思えますが、その影では、、「生き残りをかけた競争」はますます激しくなり、多くの市場ではトップ・ブランドしか儲からない、いわゆる「市場の小選挙区化」が以前に増して進んできています。そんな競争に勝てず、経営危機に陥っている企業がどんどん生まれてきています。
さらに厳しいリストラは、好景気というにもかかわらず、いまだに人びとに襲いかかってきています。個人も「勝ち組と負け組の格差」が容赦なく広がってきており、ほんとうに厳しい時代になりました。
今後の所得格差の予想を尋ねたところ、71%が「拡大する」と答えた。「変わらない」は18%、「縮小する」は6%にとどまった。
これは、毎日新聞の特集「縦並び社会-格差の現場から」の「株に乗り遅れるな」のなかにあった記事です。格差が広がりつつある。それを多くの人たちが身にしみて感じています。
果たして政策の結果か?
企業でも個人でも「格差」が広がりはじめたわけですが、それを小泉政権の「小さな政府」「構造改革」という「競争を促す政策」から生まれた結果だと主張する人たちがいます。しかし、かならずしもそうはいえないのじゃないかという気がしています。
実際、破綻した企業、あるいは経営危機に陥っている企業を思い起こしてみて下さい。業績が悪化したのは、政策の結果でしょうか。違うはずです。あのサンヨーの不振も政策の結果ではありません。時代の変化があまりに急速で、それに対応できなかったのです。例をあげればきりがありませんが、あのエクセレントカンパニーであったSONYですら収益が悪化し迷走しはじめているのですから。
若年労働者の雇用を確保しろといっても、かつてのように若い人たちを一から育てるゆとりを持っている企業はそう多くありません。企業は即戦力が欲しいので、若い人には不利な状況になってきています。それも日本だけの現象ではありません。
これが「頑張れば報われる」新しい社会像なのか。それともセーフティーネット重視の相互扶助型の社会を選ぶのか−−。
毎日の特集は、そう問題を投げかけています。「ガ島通信」さんも違う観点から疑問を投げかけていらっしゃいますが、この広がりゆく格差を政府にどうにかしろといっても、巨額の財政赤字を抱え、しかも歳出と歳入の差が大きく広がってしまった状態、いわゆる「ワニの口」をどのように閉じて、財政破綻を避けるかというところにまで追いつめられた政府になにができるのだとろうかとふっと思ってしまいます。
縦並び社会を是正したり相互扶助のためにドラスティックな手が打てるとはとうてい思えません。税制を工夫して負担のさじ加減を変えるぐらいでしょうか。ドイツがやったようにワークシェアリングなどの規制をしますか。日本の財政の状況では、手厚い弱者保護をするというゆとりはありません。そのことをみんなが分かって、先行きの不安に感じるからこそ、公務員のスリム化をやれ、税金の無駄遣いをやめさせろ、公務員の利権構造を解体しろという声になります。
公共事業が景気回復にとって何の役にも立たず無駄遣いになってしまったように、政府に過剰な期待をすると、かえって問題の本質を見失うことになりかねないのではないでしょうか。
政治ではど対処しようもない、もっと大きな時代の変化の荒波が日本を襲ってきており、社会を揺さぶっているというのが現実だと思えてなりません。
いつ立場が変わるか分からない
どのような変化の嵐がやってきているのかを、ここで展開するつもりはありませんが、「勝ち組」といっても、いつ突然「負け組」になってしまっても不思議でない時代です。毎日新聞の特集の「ヒルズ族になれなかった男」でクレイフィッシュの元社長松島さんが取り上げられていました。松島さんとは偶然上場前に出会い、次に再会したのはクレイフィッシュを去られてからでした。
生き方という視点では松島さんを決して「負け組」とは思いませんが、少なくともビジネスの世界では「勝ち組」の座から滑り落ちたことは事実です。松島さんに限らず、時代の寵児のように、まぶしいほどの大成功を収めた人でも「勝ち組」の座から消えていった人たちを何人も見てきました。
逆もあります。自らの事業が将来性も、採算も取れないために、事業を捨て資産運用に回られ、高い収益をあげて成功していらっしゃる方もいらっしゃいます。しかし、それもリスクがないとはいえません。
これまでは構造不況だ、「負け組」だとされていた多くの会社が、中国特需で突然復活し「勝ち組」になってしまいました。あれだけ不良債権を抱えていた銀行も、超低利の金利政策で、あっというまに高収益をあげるようになりました。いつ「勝ち組」と「負け組」の立場が変わってもおかしくないほど、何が起こるか予測がつかない時代になりました。
まずは危機への意識とか感度を持つことかな
小さな会社をやっていると、激しい変化の流れに、まるで木の葉のようにきりきり舞いさせられます。明日はどうなるか、全く保証もないし見えてきません。危機に見舞われても、誰も救済をしてくれません。だからこそ、油断さえしなければ、生き残る知恵も身に付いてきます。
しかし、小さな会社だけでなく、次第に大きな会社や組織にいたとしても、同じようなリスクが生まれてきています。またいつ危機が襲って来るともわかりません。気をつけたほうがいいのは、大きな会社や組織にいると、そういった明日はどうなるかわからないという意識や感覚が鈍ってしまいがちだということです。リストラの対象となった人たちも、まさか自分がそういう立場になるとは夢にも思わなかったはずです。終身雇用制とか、政府の手厚い保護とか、日本全体が、そういった危機に対する感度が育たない環境にあったということでしょう。
セーフティーネット重視の相互扶助型の社会を考えるということを決して否定はしませんが、社会の意識が変わっていかないと、また政治家と官僚のひとりよがりな政策で社会コストがあがるだけということにもなりかねません。それよりは、企業や個人がそういった時代に対処する意識や適応力を高めていくことのほうが先決問題かなと思います。
日本はやっと終身雇用の枠組みが緩み、転職する人も増えてきました。きっと転職の経験をした人は、いやがおうでもリスクに対する意識や感度、また異なった環境への適応力が磨かれます。転職だけがすべてではないですが、危機に対する意識やセンサーの感度を上げておこう、そうすれば変化や危機に対する免疫も適応力も高まってくるのではないでしょうか。
ただ間違っばても、「危機に対する意識や感度をあげる」ということと、「危機に怯える」ということは間違わないようにしましょうね。スポーツもそうですが、怯えてしまうとと、突っ立ってしまったり、筋肉が硬直してしまい、肝心なところで動けません。厳しい時代ですが、そうだからこそ肩の力を抜いて、変化や危機と上手につきあって、面白いことを一緒にやっていこうよと感じる今日この頃です。
トラックバックURL
この記事へのトラックバック
この記事へのコメント
このエントリーの趣旨には概ね賛成です。
『最も強い者が生き残るのではなく、最も賢い者が生き延びるのでもない。唯一生き残るのは、変化できる者である』 −ダーウィン−
またユリウスさんのコメントにあるダーウィンの言葉、初めて知りましたが、これからの時代、座右の銘にしたいくらいです。
http://www.meken.med.kyushu-u.ac.jp/~tosakai/koizumi.html
私自身は、勝ち組・負け組というのは、あまり好きな表現ではないのですが、所得一つをとっても、格差が拡がっているのは実感しています。
肩の力は抜きつつも、アンテナの感度は良くして、変化に対応できるようにしていきたいものです。
個人的には、第3次産業に従事する人口が多すぎると思います。第1次産業に従事する人が少なくなっているので、実はそこに経済的に豊かな暮らしが待っている気がします。
まあ、あくまでも僕の感覚ですが。
これからは、みんなが事業主感覚をもっていかないと、日本はつぶれちゃうんじゃないかと心配です。
サラリーマンの友達としゃべるときと、独立している友達としゃべるときでは、明らかに話の内容が違います。
やっぱり、サラリーマンの友達は、毎月給料が入るのが当たり前って感覚なんですね。
「国がどうこう、会社がどうこう言うんなら、さっさと独立すればいいのに」って思いながらしゃべってたりします。
自分でやってると、だれにも文句言えないし、文句言ってる暇なんてないですからね。
ぶら下がることに慣れちゃってるんですね。
十年、二十年かけて、だれかのいうことを聞くように教育されてきたんですから。
政府が日本を変えてくれる?
そんな人任せの、悠長なこといっててどう変わるんですかねぇ?


