テレビから、矢沢の歌う声が流れてきています。もう少しで2005年は終わりますが、皆さま、この一年いかがでしたか。
実を言うと忘年会で、dawnさんに「男たちの大和 YAMATO」のチケットをいただいたので、今日行ってきました。今年の4月に「角川春樹は戦艦大和をどう描きたいのか」というタイトルでちょっと批判的なことを書いたので、実際に映画を観て確かめたかったのです。
大和に搭乗した生き残りの人たちから丁寧に取材した積み重ねの映画であり、ひとつひとつのエピソードに熱く感じるものがあり、亡くなった人たち、またその家族の悔しさとか、また生き延びてしまったという後悔に近い思いみたいなものが伝わってきました。そういえば、昨今はこういったことを描いた映画がめっきり少なくなっていました。

しかし、本当に哀しいテーマの映画です。家族、故郷、祖国を守らなければいいけない、そのために自分が犠牲になっても戦わないといけないという当時の若い人たちの純粋な気持ち。しかし、そういった人たちが「無用の長物」でしかない大和に乗って、また無意味な作戦行動「特攻」に向かっていきます。そして、圧倒的に軍備で優れたアメリカ軍の戦闘機の攻撃にさらされ、若い尊い命が失わていき、「無用の長物」は沈んでいきます。大和の歴史一つとっても、どこから切り取ってみるかでずいぶん見えるものが違ってきます。しかも、複雑な気持ちになります。
パンフレットで、阿川弘之さんもこう書いています。

大和に関しては種々の批判がある・・・明治の頭で昭和の軍備をやる勿れという建造反対論である・・・
もう一つは・・・大和水上特攻作戦についての批判・・・幼な顔の特別年少兵も含めた優秀な乗組員全員を犠牲にして、何故そのような無謀をあえてするのか・・・

・・・この種の直言を、私は何度も海軍士官から聞かされてゐるし、その人たちの意見に概ね賛成なのだが、にも拘らず、大和航行中の写真を見たり、大和の生涯を記述した書物を読んだりすると、深い感慨を覚えて、六十年後の今でも涙がでそうになる。
涙を催す理由はうまく説明できないけれど、多分、当時の日本人が持ってゐた最高レベルの知能と技術の結晶が大和だったのにという痛恨の思ひからであろう。一部先見の明のある人たちの予見通りになったとは言へ、大和は世界戦史にその名を残す空前絶後の「無用の長物」であった。

阿川さんは、大和の建造そのもの、また作戦の間違いという二重の誤りを認めながらも、しかしながら、この大和を建造した技術は戦後の日本の復興に役立ち、また乗組員が見せた捨て身のなき声、「同世代戦没者の無念の思ひを思ひやること」が奇跡の日本の復活につながっていたというのです。そう思わないと、犠牲になった人たちの魂は浮かばれません。

以前のブログでは「戦争はどの時代でも技術イノベーション、戦略イノベーションに成功したところが勝利するのです」と書きましたが、それに近い台詞がこんなシーンで叫ばれます。大和が「特攻」で最後の出航に向かう船内に、兵隊同士の喧嘩が始まります。戦闘機の護衛もない裸の大和で出ると言うのでは、ただ死ぬだけであり、納得できない犬死だと主張するグループと、たとえそうであっても、黙ってお国のために死んでいくべきだ、文句をいうのは筋違いだと言うグループの間の諍いが起こります。そこに、長島一茂演じる白淵大尉が間に立ち、こう言うのです。うろ覚えで申し訳ないですが

「日本は進歩を軽んじてきた。しかし進歩がなければ戦争には勝てない・・・日本が救われるためには、敗れて目覚めるしかない。」

きっと戦争中にこんなことを言えば国賊ものだっと思いますが、この白淵大尉の言葉どおりになりました。敗れて目覚めるしかなかったのです。

しかし、目覚めるべきは「進歩がなければ勝てない」ということだけではなかったはずです。「無用の長物」がなんの疑いもなく、あるいは反対意見があったにもかかわらず作られてしまった原因にこそ目覚めるべきではなかったのでしょうか。
それは、官僚である軍部、政治家をどう統制するのかという問題です。それが総括されることもなく、戦後を突き進んできただけに、「無用の長物」は官僚や政治家の手で作られ続けてきました。
この映画の中でも「防空壕にこもっていないで特攻になぜくわわらないのか?」という素朴な怒りが投げかけられますが、軍部を中心とした官僚たちは自分たちの利権や立場、また建前ばかりで、現場にどれだけの犠牲が出ようが、信じられないほど無関心であり無責任でした。それもこの「男たちの大和」では、取り上げてはいますが、突っ込みが浅かったような気がしてなりません。
そんな体質が戦後の官僚や政治家のDNAのなかにも脈々と流れ続けてきました。また官僚や政治家をコントロールする術を日本は持たないままに「無用の長物」を作り続け戦争に負けたに等しい財政赤字を抱えたしまった今になってやっと構造改革をしないといけないというコンセンサスが生まれましたが、こ映画を観るときには、そういったことも感じて欲しいですね。

こんなことを書いているうちに、新年がきてしまいました。

明けましておめでとうございます。

みなさま、よい本年もよいお年をお迎えください。

一眠りして京都に初詣に行ってきます。

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