今日の日経の一面は「ソニー、金融事業売却へ」という記事でした。金融事業の売却または持ち株の縮小、ソネット・スカパーの放出などで資金を捻出し、経営資源の集中とエレクトロニクス部門再建を狙った思い切った改革に着手するというものです。
出井流「多角化」から決別ということでしょうが、思い起こせば、出井さんが描いた構想は、ロマンティックでした。それまでは、単細胞の原始的な生き物しかいなかった地球に、今生きている生命体の原型のほとんどが生まれた、5億数千万年前の短期間のカンブリア爆発のイメージがその考え方の底にあったように思います。
その頃の地球に何らかの変化が起こり、そのカオスのなかで、DNAとDNAの情報が爆破的に掛け合わされ、これまでとは比較にならない膨大な生命の種が生まれたわけですが、それと同じように、エレクトロニクス、インターネット、コンテンツ、金融という激しい変化にさらさらされる世界にいることで、やがて情報が飛躍的に生まれ、その掛け合わで、つぎつぎに新しい事業や商品またサービスが創発されてくる。そうやっているうちに、やがてこれが次世代のSONYだという姿が自ずと浮き上がってくるという壮大な夢でした。
しかし、現実はもっと厳しかったということでしょう。それぞれの領域には、シャープのように液晶に生存を賭けた企業があり、手負いの獅子だった松下が本気で立て直しを図ってきた、またAPPLEが、SONYのルーツともいえる領域で大成功を収めるなど、相乗効果どころか、市場の最前線で負けが目立ちはじめました。
出井さんが間違ったのは、そういったカオスのように情報が錯綜し、そこから、さまざまな新しいことが創発されてくる、つまり湧き出てくるとうものの見方は正しくとも、それはSONY一グループというコップの中の嵐で起こってくる話ではなかったと言うことではないでしょうか。
今回の改革は、選択と集中にSONY路線を切り替えるということでしょうが、投資のための資金をつくって、クオリア、ロボット、ブラウン管など趣味としか思えない事業を切り捨てたに過ぎず、薄型テレビを立て直す戦略しか、まだみえてきません。
まあ、最初の一歩としてはそういうことかとは思いますが、同時にメスを入れるべきは、SONYの社員の人たちの奢りかもしれません。いつのまにか、俺たちは天下のSONYだ、俺のやることに文句をつける素人が間違っているのだという露骨な発言すらら平気でするようになりました。世界のSONYという高いブランド・イメージを築きあげたことは素晴らしいことですが、その自らのブランド・イメージに経営者、また社員の人たちが酔ってしまい、挑戦者としてのSONYではなく、自分たちは王者だという強い思いこみが生まれてしまった結果が、時代観、市場観を狂わせているように思えてなりません。このどのような社内の意識改革がどのように行われるのかを注目したいところです。経営も構造改革なくしては成長なしでしょうが、同時に意識改革なくして成長もありません。

 

追記:ソニーは、日経の記事を全面的に否定したそうです。なんか最近とみに増して日経はこういうの多いですね。しかし、日経記事に書いてあることのほうがまともに感じて、否定するのはヤバイのではないかというのが正直な感想です。

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