c7ce3d87.JPGそんな信念を持ち続けた「青い目の日本人」がいました。ウィリアム・メレル・ヴォーリズです。だから、ヴォーリズの署名には、丸のなかに点があります。丸は地球で点が近江八幡です。アメリカから明治38年に、24歳の若さで滋賀県県立商業学校の英語教師として来日し、昭和38年に83歳で亡くなるまで、近江八幡の暮らしを愛したヴォーリズは、「日本人を超えたニホン人」として生きた人です。

ヴォーリズの署名は、点としてのコミュニティが原点であり、そこから世界が広がるのだということをいいたかったのではないでしょうか。いまだに発展途上国型の中央官僚主導体勢から抜け出せず、また官僚の暴走を政治が止められず、巨額の負債と不良債権を広げ続けている現代への警鐘なのかもしれません。

同じ滋賀県で悲しい出来事がありました。覚えていらっしゃいますか。豊郷小学校の新校舎建築を巡る住民の対立です。町長派と反町長派が厳しく対立し、リコールが成立した後に、また町長が再選されるという混乱がありました。住民を二分したのは、豊郷小学校は、このヴォーリズが建てた学校であり、それを保存するのか、潰して新校舎をつくるのかということでした。それぐらいヴォーリズの残した建築や文化は近江八幡をはじめ、滋賀の人々に愛され親しまれてきたというだけでなく、また地域文化の誇りなのです。
一部のジャーナリズムを除いて、この対立の報道だけに終始し、なぜそういったことが起こったのかという原因はほとんど報道されませんでした。
対立を生んだ原因は、はっきりしています。官僚が予算さえ獲得すれば、あとは手早く消化すればよいという乱暴な発想で、校舎の新築や建て替えには補助金を出すが、補修には認めないのです。だから、補助金を確保したい、またそれによって生まれる仕事が欲しい住民と、地域が誇る文化を守りたいという住民の対立になってしまいました。そのことをジャーナリズムは追求しませんでした。さらに小泉首相および官邸も閣僚も知らん顔でした。あまりにも無神経なのです。市町村合併問題でも、住民対立が起こってきていますが、まさに国政が原因であるにもかかわらず、自分たちは国政をする人間であり、地方のことは地方にやらせておけばよいという態度しか感じられません。ジャーナリズムも、騒動という「木」ばかり追いかけて、本質としての「森」を見ません。年金問題も同じでした。

長野県の田中知事の憤りも同じです。災害が起こりうる危険地帯に新築する老人ケアハウスには補助金がでて、商店街の空き家を活用し、地域と住民が参加してケアしようという施設には、改築費用はでません。そういった馬鹿げた矛盾を改革しようした田中知事を叩きにまわったのが、やはりマスコミでした。

現実を考えずに、わが省庁の予算を死守するという思想しかなく、無駄な資金をじゃぶじゃぶ使い続けているという点では道路にしても、ダムにしても皆同じです。官僚の暴走はとどまるところを知りません。年金問題で発覚したように、意図的に都合のいい数字を設定し、国民を騙してまで官僚の権益を守ろうというのです。考えても見てください。民間企業で、そんないいかげんな数字で事業計画書をつくり、会社に膨大な損失を与えたとしたらどうなりますか。重大な責任を問われます。

おそらく、みんなわかっていることなのです。しかし、民間企業で働いていると、省庁のいやがらせ、陰湿な民間企業いじめがないとも限らないので声をあげることができません。マスコミもなにを書くかわかりません。

ヴォーリズは、教師を辞めてからは、日本にさまざまな文化遺産となる建築を残しました。関西学院大学、同志社大学、神戸女学院、大丸心斎橋店、国際キリスト教大学、山の上ホテルなど、多くの建築がいまだ残っています。また、お茶ノ水スクエアは、日本の代表的建築家である磯崎新さんが、一部を残して再開発をしました。
商標権の問題で、現在はメンタームのブランドとなりましたが、ヴォーリズは、アメリカからメンソレータムを導入しビジネスでも成功しました。まさに『青い目の近江商人』でもありました。さらに、第二次大戦中は敵国人として酷い仕打ちにあうのですが、戦後、日本を統治したマッカーサーに会い、昭和天皇を救うために働きかけた功績でも、ヴォーリズは、日本の歴史に欠かせない人物なのです。

今、代表中の代表作である『旧八幡郵便局』は、市民団体である『一粒の会』が補修をはじめています。市民が自らの手で文化を守ろうとしているのです。その改修現場に訪れたのですが、現場にいらっしゃったみなさんが中をみせてくださったばかりか、親切にいろいろ教えてくださいました。
マーケティングも現場に真実があります。地域を見つめれば、日本がいかに官僚とそれに乗っているだけの政治家によって、荒廃してきたかという真実がわかります。
地域を守るのは地域コミュニティでしかありません。官僚と手を組んで、補助金を引き出し地域に貢献しようとする古い政治手法は、さらに地域を荒廃させる結果となってきたばかりか、もはや成立しなくなってきました。

ヴォーリズの世界観のように、私たちが暮らす地域のひとつひとつが日本の中心となり、官僚も政治家も、その下僕になっていかなければ日本の将来はありません。
未だに、お上の発想で、日の丸を強制的に掲げさせ、愛国心を教育しないといけないという人たちがいますが、逆です。本当に誇りに思え、愛せる地域づくり、コミュニティづくりが進めば、誰だって素直に日の丸の旗を振って「ニッポン・チャチャチャ」です。

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