禁断の果実


「禁断の果実」
ルーベンスの絵画「アダム&イブ」を下絵にしたラベルデザインのベルギービール「禁断の果実」。ベルギー・ビールは個性の宝庫です。


いろいろ「第三のビール」についてブログで議論されていることを知りました。嗜好と同じよううに「ビール」については、いろいろな意見があるとは思いますが、サッポロ「ドラフトワン」から始まり各社が追撃している第三のビールがどうも王道ではないと怒っていらっしゃる方もいらっしゃいます。
ジャーナリストである団藤さんは「ブログ時評」「食文化に背を向けたビール業界の悲劇」[ブログ時評25]で、ビール業界はこの第三のビールを「全く新しいアルコール飲料」と主張しているけれど、結局は代用ビールであり、自ら築いてきたビール文化を貶めている」というご批判をされており、また大麦を捨てた「第三のビール」は、業界の将来を自ら危うくするという懸念を表明されています。
しかしちょっと疑問に思ったのは、日本のビール文化っていったいなになのかということでした。それはもともと「味わう」という類の文化ではなかったのではないかという疑問です。
日本のビール業界は、大きな企業が工場で大量生産することを前提としたマス・マーケティングの典型的な世界です。その点で、ほとんどが中小企業である清酒や乙類の本格焼酎の業界とは違います。会社が大きいだけに、開発力もあり、戦略オプションも多く、それしかできないから、その味を追求するという世界ではありません。
昔から人びとの嗜好にあわせて、コーンスターチや米粉をいれてコクをだすという独特のビールであり、しかも味わうことなどできないぐらいキンキンに冷やして、ごくごくと飲む日本独自の飲み方でした。
やがて、人びとの多くが「味わい」よりは「のどごし」を重視していたことがアサヒのドライの大ヒットで証明されますが、そうなると、パンドラの箱が開いてしまったようなもので、発泡酒であれ、第三のビールであれ、後は価格次第、「のどごし」次第となるのは自然な流れです。

日本のビールは「味わう」というシーンがほとんど浮かんできません。みんなで「乾杯!」といって仕事の労をねぎらう集団の文化、一気のみの新人の歓迎会といった景気づけの文化、まあ選ぶよりは、とりあえずはビールという文化、帰宅して疲れを忘れるための気分転換、ゴルフ場でのどの渇きを潤すなど、浮かんでくるのはアルコール清涼飲料の文化ばかりです。もっといえばじっくり味わうようなシーン、例えばバーでは合わないビールがほとんどなのです。
もともと日本のビールは、醸造所の個性、銘柄の個性を楽しむという文化とはほど遠かったのではないかと思います。だから「第三のビール」で貶められるというほど大げさな文化があったのかという疑問を感じるのです。
「ビールの味」のバリエーションをほとんど知らない人たちが、より安く、よりスッキリしたのどごしのよいアルコール清涼飲料を求めても当然であり、そういったところにメーカーが新製品を投入してくるのは正当なマーケティングだと思います。多くの人たちが、「発泡酒」も「第三のビール」も別にいやいや飲んでいるわけでなく、安くて、ご自身の味覚にあうから飲んでいらっしゃるわけであり、新製品の味の好き嫌いを語ることは楽しくていいのですが、そのマーケティングを非難してもしかたないことだと思えます。

では「味わう」ビールの世界が日本にないかというと決してそうではありません。日本は豊かな国です。ビールの味わいを楽しめる世界、ビールの個性にあわせた飲み方をするという食文化が楽しめる世界は、ちょっと探せば地ビールや輸入ビールで体験することが出来ます。
とくにベルギービールはその代表格で、種類の豊富さは日本酒に匹敵するぐらいあるのではないでしょうか。「リーフマンズ・グリュークリーク」のように暖めて(つまり燗をして飲む)ビールだってあります。
ベルギービールの輸入に力をいれていらっしゃる「白雪」小西酒造さんの「小西ベルギービールホームページ」はベルギービールのそれぞれのブランドの特徴やおいしい飲みかたが詳しく紹介されています。文化とはそう言った豊かな選択肢、個性にあわせたおいしい飲み方の作法があってはじめて育ってくる世界ではないでしょうか。
そういったビールは、日本の地ビールも含めて、今はニッチな小さなマーケットでしかありません。でもそれでいいのだと思います。最近の若い人たちは大量にビールを飲むという人は減ってきているので、やがてビールの味わいを楽しむ世界もすこしずつ広がってくるように思います。
もうビールのマス/マーケットは、競争で各社の売り上げやシェアが動くことはあっても、これ以上市場そのものが伸びることはないでしょう。マスマーケットのビールがどんどん衰退しても、それに変わる文化の世界はいくらでもあるので、それでいいのではないでしょうか。特に嘆くほどの価値があるとはとうてい思えません。
文化を語るなら、出荷量はあまり参考になりません。清酒がだめになったと団藤さんはおっしゃっていますが、そうは思いません。いまだにしっかりおいしい清酒をつくり続け、清酒文化を支えている蔵元はいくらでもあります。またそれを楽しんでいる根強いファンもしっかり存在しています。清酒業界は大手ですらほとんどが中小企業ですから、逆にそういった文化のビジネスをやっていけるのかもしれません。



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