よく訪問させていただいているブログ、つまり定番ブログのなかに「おおた葉一郎のしょーと・しょーと・えっせい」があります。ブログ1周年を迎えられたそうです。おめでとうございます。
米国の社会学者エベレット・M・ロジャーズ風に言うなら、きっと2004年より前からブログをはじめてこられた人たちは、たぶん「革新者」であり、「おおた葉一郎さん」や私のように、2004年にはいったあたりからブログに入ってきた人たちは「初期採用者」(アーリーアダプター)といえるのかもしれません。私たちが書き始めてからも、ブログはどんどん増えつづけてきました。

不思議なのはなぜ書くのか、書き続けられるのかです。「おおた葉一郎さん」は一年で440回を超える投稿をされたというハイピッチですが、私のはこの原稿で428回目の投稿になります。程度の差はあっても、書き続けてきたということに変わりありません。ブログで親しくなった他の方々もそうです。
みなさんが、もともと日記を書く、文章を書くのが好きなタイプの人だとは必ずしも思えません。小学校の夏休みの宿題の日記をろくに書かず、新学期の直前にしかたないからまとめて書いたものです。そうだったのは私だけでしょうか。それがブログだと続くのです。不思議ですね。
「おおた葉一郎」さんはこう書いていらっしゃいます。
ある時、ブログアウトサイダーから「毎日、ブログを書くのは、自己表現の満足のためなのか」という根源的な質問を受けたのだが、たぶん「違う」。モティベーションの根源は、「読者の存在感」なのだろうと思っている。たとえ、それが世界中でたった一人であってもというつもりだ。

まったくその通りだと思います。読んでくださる人がいるから書きつづける、書いていてコメントやトラックバックなどのリスポンスがあるから続くけることができるうというのが正直なところです。さらに実名でやっていると、リアルな世界でブログで書いたことことが話題になることもあり、ご意見を伺え、ますます読んで頂いているという実感が沸いてきます。だから書けるのです。

書き続けていると、もちろんいろいろな変化や出来事もあります。
変化ということでは、「おおた葉一郎さん」が、最初は「既に知っている知識をはき出すことで書く「肺活量方式」でいけるけれど、そんなネタも切れてくると<「仕入と加工という自転車操業方式」に変化してきたと書いていらっしゃいますが、それを織り交ぜていかないと続きません。
持続可能なブロガーは水中の酸素をえら呼吸できないといけないのだろう。そして、あちこちで餌を探さなければならない。酸素だけではサカナも生きられない。

本当に的を得ていますね。またそれがマーケティングの世界にも共通することだと感じています。

出来事と言うことでは、匿名でもかまわないのですが、ろくに内容も読まず非礼なコメントを書いてくる人も時々現れてきます。最近では、他の人のブログを批判することによって自分の存在を誇示するという人、またそれを自慢げにブログで書いている人もでてきました。そのほうが注目され読んでもらえるからです。「書いたもの」が読んでもらえる満足を満たすためには手段を選ばずということでしょうか。情けない人たちです。

親しい友人と今日話をしていたのですが、「キリスト教文化などでは、人の目がなくとも、いつも神が見ているという意識がある。誰も見ていないからタブーを破るという文化ではない。日本は「恥」の文化であり、他人に見られているから「恥」になる。人の目があるから自制がきくけれど、誰も見ていなければ平気でタブーも破る」といっていましたが、そうかもしれません。松岡美樹さんが「匿名の心理、実名の心理〜暴言の抑止力になるものは?」で書かれていたように「世間体」がないと歯止めが効かない人がいるということは残念なことですね。

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