今日のサンデープロジェクトを見ましたが、堀紘一さんはどうしてしまったのでしょうか。ちょっと酷かったですね。驚きました。堀江さんを擁護する立場でない人でも、Business Bridgeさんのように、怒りを感じた人、あきれかえってしまった人が多いのではないかと思います。
谷垣大臣は冷静でした。「個別の取引に口を挟む立場にない」という原則で発言を控えていらっしゃいました。
政府の立場でなくとも、個別の取引問題に、政治家が「公」の立場から、うかつな発言を行うことは、経済活動の自由を侵しているばかりか、市場をゆがめ、誘導することになるということすら理解していない政治家がいます。ほんとうに自由主義、資本主義の国の政治家なのかと疑ってしまいます。いや日本は「神の国」らしいので違うのかもしれません。
堀紘一さんもそうです。堀江さんが猛然と抗議していましたが、特に、こういった利害が対立している渦中で、憶測に基づいて、一方に不利益となる発言や誹謗中傷はいけません。もっと慎重になるべきです。株主ならなおさら怒ります。経済人としての常識やマナーに欠けています。

さて、一部の政治家の人たちの発言は「マスコミは公器だから、株式の取得、つまり経済活動によって経営を支配するとはけしからん」ということですが、前にも書いたように、マスコミを公器として聖域視するということは、マスコミは「株式会社」であってなならないということです。資本市場に置いてはいけないのです。
この点があいまいなままに日本のメディアは特殊な経営をやってきました。資本関係がねじれたま放置されてきたり、株式会社としての透明な経営がなされてきませんでした。だから、日本テレビのナベツネ名義株問題(名義だけで読売新聞が所有と訂正)から発して、マスコミ各社が株式名義を修正するという一連の不祥事も起こってきました。さらに資産家でもないナベツネが、生涯年収よりはるかに超える不動産を取得していると週刊誌ですっぱ抜かれていましたが、国税が調査したという話は聞きません。
日本のマスコミは戦後、一貫して保護政策の下に歴史を歩んできました。最初は、戦前のように権力に利用されてはいけないという反省から、メディアの独立性が保つという大儀で、本来は独占禁止法違反である再販制度が新聞に認められてました。つぎにテレビが生まれ、許認可制度の中で電波が割り当てられ、これも独占状態の中でテレビが育ってきました。新聞やテレビが、スクープを競ったり、発行部数や視聴率を競うということはあったとしても、それは壺の中の嵐にしかすぎず、本当の意味での経済競争にはさらされてこなかったということです。
競争のない保護産業は、必ず体質が弱体化していきます。また腐敗も起こってきます。日テレの視聴率改ざん事件の記憶も新しいですね。またついこの間も、タレントが番組の中で窃盗の経験を話すというとんでもない不祥事を起こしてしまいました。
日本のメディアが発達していくためには、こういった保護主義から脱皮して、もっと厳しい競争の中に置かないといけません。革新の動機が生まれないのです。

しかし、経済の自由に任せたときにアメリカでなにが起こったのでしょうか。それは、冷戦構造の時代の意識から抜け出せない古い政治家や、産経新聞が恐れる共産主義の亡霊からの汚染ではなく、大衆迎合主義、事実を曲げてまで視聴率をとっていくという報道でした。
世界のメディアの買収をつぎつぎに重ね、メディア王といわれるマードック氏が経営するフォックスTVのイラク報道がそうでした。また広告主に迎合して、報道の公正さ損ねるという危険性も考えられます。経済の自由がメディアを活性化させるとしても、一方では、社会が報道の公正さ、公平さを監視するしくみも必要なのかもしれません。しかし、いえるのはそれを混同してはいけないと言うことです。それは別次元の問題だと言うことです。

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