教育って難しいですね。特に、子供の教育は時代の環境が大きく変化し揺れに揺れています。しかも、国家公務員試験に通ることを人生の戦略として学生時代を過ごし、普通の社会とは無縁な環境のなかで働き、どれだけ有利な天下り先に行けるのかを考えている人たちが描く「教育」なんて恐ろしい限りです。見事に破綻しつつあります。破綻して当然です。

木村剛さんのブログで「ゆとり教育でゆとりを感じているのは誰?」にも多くの反響があったようですが、小島愛一郎さんのブログ「ベンチャー企業社長の挑戦、そして苦闘」「競争社会を生き抜くために」にも多くの人たちからのコメントやトラックバックが寄せられており、教育問題を考える参考になります。また皆さまの関心の高さが窺えます。
(ブログは一極型でなく、そうやって複数のブログが「極」みたいな意見の集積地になっていくのが面白いですね。)

ちょうど日曜日の「報道2004」で尾道の土堂小学校の陰山校長が出ていらっしゃいました。ホームページでは「学ぶことが楽しい学校」というコンセプトが掲げられていますが、楽しく競争させたり、ひとひとりが「できるようになった」ことが実感できるように、上手に教え方を工夫されている様子が映しだされていました。
土堂小学校に限らず、そういった教育現場での工夫が始まっていることは素晴らしいことです。

さて、小島さんは、現在の義務教育が大きく変わってきたのは、
1)優劣をつけない、優劣によって子供を傷つけないという過大なアプローチ
2)学校でも行政でも親でもない、「子供を取り巻く環境」が変わったこと
以上の2点が原因ではないかとご指摘です。その通りだと思います。それもふまえて、さらに二点を提案させて頂きます。
親も学ばないといけない

また優劣をつけないということに関しては、「Win-Win」というブログを運営されているHikariさんからの「競争をなくし、順位をつけなくなったのは、上からの指導ではありません。保護者の要請です。どうしてこれが正しく伝わらないのか不思議でなりません」というコメントが紹介されていますが、よくわかります。
Hikariさんのコメントは、保護者の人たちに対して、現場が何を目指して教えているのか、子供たちの能力をどう伸ばそうとしているのかということの理解をつくることがない限り、まともな教育はなりたたないのではないかということを物語っているかようにも思えます。時代の変化という点では、親そのものが育てかたを知らなかったり、子育ての不安や迷いという問題まで学校が抱えはじめているということではないでしょうか。
昔から、我が子の非を認めず、学校に怒鳴り込むというわがままな親はいましたが、まあどんな時代にもいるのもです。しかし全体としては、家にアドバイスしてくれたり、緩衝材としての祖父祖母がいたり、地域社会も子供のめんどうを見てくれた時代と違って、親も子育てでは孤立しはじめているのではないかと思えます。
どう子供を育てていいのかがわからなくなってしまい、それがストレスになって、ついつい不満を爆発させる親も増えてきているのではないでしょうか。また少子化によって子育てのベテランの親も減りました。だから、親が家庭でなにを教育したらよいか、学校には何を期待したらよいかという認識そのものがぐらついてきているように思えてなりません。
保護者への指導や理解をつくり出すことの重要性がどんどん増してきたのではないでしょうか。しかし、これはそう簡単ではありません。いろいろな意識を持つ親がいます。そういった保護者への指導や、理解づくりは、ひとりひとりの教師のかたがたの努力、特に経験の浅い若い先生には重荷すぎるような気がしてなりません。校長が先頭に立って、学校全体で取り組んでいかないと難しいのではないでしょうか。きっと教育成果をあげている、いい学校は、そういったことへの真剣勝負の努力をされているのだと思います。

いかに楽しく競争させ基礎を叩き込むか

これはスポーツを子供たちに教えていた経験ですが、子供たちは小さな競争が大好きです。テレビで、土堂小学校の授業風景を見ていてもそう感じました。子供は変わらないなあという印象です。
スポーツで、たんにダッシュを繰り返させると、子供の目は死んでいきます。しかし、工夫して小さな競争を積み重ねていくと、ほんとうに生き生きと面白がって走り続けます。競い合うのがゲーム感覚で面白いのです。きっとバーチャルな世界の競争よりも、はるかに子供を惹きつけると思います。
さらに、子供たちは小さな競争で、勝ち負けの面白さや悔しさを覚えていきます。また、そういった積み重ねの中で友達の能力や自分の能力の違い、得意不得意、個性の違いが自然に受け入れることができるようになってきます。そんな積み重ねを経験させてあげないと、いきなり大きな競争に立ち向かうというのは過酷ですね。
スポーツを教えていて感じるのは、ゲームは子供たちが勝手に楽しみます。勝とうとして必死になります。お互い必死になるのですが、実際にゲームをすると試合のための技術ばかりを教えられているチームは案外もろく弱いのです。体力にしても、考え方にしても基礎をたたき込まれたチームはしぶとく強いですね。スポーツを教えるという観点では、基礎のいかに楽しくたたき込むか、その工夫がコーチの腕の見せどころです。面白いもので基礎をたたき込むと、大人顔負けの高度なプレイも子供たちはすぐにやってのけます。
学校の勉強も同じだと思います。ただ昔よりは、楽しいゲームがあり、生身の競争になれていない子供に「楽しいと感じさせる」工夫は変化してきているかもしれません。しかし、それも仮説と検証を繰り返していけばいい工夫が生みだされ、磨かれていくはずです。
いずれにしても、基礎をしっかり身につけないと次の発展はありません。教科書がどんどん薄くなり、基礎を学ぶことを減らしてしまったという過ちは二度と繰り返して欲しくないものです。

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